京都 徳川家康ゆかりの地

二条城

日本の中心は江戸へ

歴史的な人物としてなお知られている徳川家康は、実は京都とは大きな関連があるとされています。江戸幕府の初代将軍であり、誰もが1度は名前を聞いたことがある人物とも言えるでしょう。徳川家康は武家時代を作り上げた人物として、織田信長、豊臣秀吉らとともに、有名な歴史上の人物といえます。その中でもチャンスを見計らい自分の出番を持ち続けた、後に長く続く江戸時代を築いたことでも知られているのです。1582年に本能寺の変が起きましたが、ここで織田信長が死去すると、その後継者争いが繰り広げられたのです。その中心にいた人物が豊臣秀吉です。豊臣秀吉がなくなると、その後関ヶ原の戦いが勃発します。ここで徳川軍が勝利して江戸幕府を開きました。江戸幕府を開いたことにより、日本の中心がここから江戸に移ったのです。

 

二条城

徳川家康が京都を訪れる際の宿として使う目的で作られたものが、1603年に完成した二条城です。城を築く指示が出されると、西日本に入る諸大名たちによって、すぐに実行にうつされたのです。二条城は京都の街中にあり京都府の府庁としてもこれまでに大きな役割を果たしてきました。家康縁の城でもある二条城は長い年月をかけて人々の暮らしを支える存在にもなりました。

二条城の中でも二の丸御殿と呼ばれる場所は、東大手門から入り右斜め前方向にあります。これは国宝にも指定されていて、唐門と呼ばれる入り口から中に入ると、豪華絢爛な装飾が施されている車寄を目にすることができるでしょう。なんかには表と裏で絵柄の異なる細かい上告が見られます。二の丸御殿は昔の職人たちにより作られたものであり、現代の技術でも追いつかないような手が本田技術がいたるところに施されています。

また二条城は敷地が広いお城としても知られていますが、全部で3つの庭園があります。江戸時代に作ったと言われている二の丸庭園、明治時代の本丸庭園、そして昭和に入り作られた清流苑です。これらの3つの点は、二条城にとっては欠かすことができない存在とも言えるでしょう。アメリカの専門誌で取り上げられたこともあり、世界中から注目を集めています。

 

圓光寺

そして京都においてゆかりの地とされているものが圓光寺と言われるものです。1601年徳川家康が足利学校行でも知られている人物に対し、開山を依頼しました。伏見に建てられたのが始まりであり、1667年に現在の場所に移っています。臨済宗唯一の天倉修行道場だったこともありましたが、現在では男性がいるお寺です。境内には平成になってから作られた枯山水の庭と、近世初期に作られた2つの庭があります。

徳川家康が江戸幕府を開いた後も様々な政策を進めました。日本初の貨幣制度の統一や武家諸法度、様々な法律を発布することにより、江戸幕府の体制を盤石なものとして行った人物です。