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坂本龍馬が暗殺された近江屋事件とは?事件に関わる史跡を巡る

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坂本龍馬という名前を耳にしたことがないという方は非常に数少ないのではないかというくらい、竜馬は偉大でさまざまな功績を残した人物です。

坂本龍馬に関する話題は豊富で多方面で取り上げられることが多いですが、今回はその中でも竜馬の最後となった近江屋事件にスポットを当ててお話していきたいと思います。

竜馬がどのような生涯をとげ、どのような最期を迎えたのかについて詳しく見ていきましょう。

近江屋事件とは

1868年、京都の醤油屋である近江屋で起こった坂本龍馬暗殺事件のことです。

坂本龍馬のほか、同行していた盟友の中岡慎太郎が暗殺されました。

竜馬を訪ねてきた数人の武士による暗殺は、ほんの一瞬の出来事であり、抵抗できない状況であったとされています。

1866年に犬猿の仲であった薩摩藩と長州藩が薩長同盟を結び、その一役を買った坂本龍馬が暗殺されたことで倒幕派の岩倉具視や三条実美や、土佐藩の谷干城や板垣退助などは非常にショックを受けたとされています。

土佐藩の星である坂本龍馬を失ったのちには、土佐藩は大きな成果を上げることが出来なくなってしまいました。

竜馬が暗殺される直前には、大政奉還で幕府が崩壊したことで竜馬の臨んでいた新しい時代への走り出した矢先の出来事だったこともあり、非常に志半ばであったでしょう。

実際に、当時坂本龍馬と中岡慎太郎は将来の日本の在り方など語り合っていたとされており、新たな時代のスタートに期待を膨らましていたことが伺えます。

坂本龍馬の人物像

ここで、改めて坂本龍馬の生涯に注目してみましょう。

竜馬は、1835年に高知県土佐藩に生まれました。

6人兄弟の末っ子で、父親の武家としての厳しい指導の下で確実に力を付けていったと言われています。

武術剣術修行のほか、文武両道を目指して知見を広めていくことにも力を注ぎました。

1861年には、土佐勤王党に加入し、翌年には脱藩を決意しました。

その後は、勝海舟と出会い、海軍操練所の設立や薩摩藩、長州藩の関係改善のために尽力しました。

しかしながら、1864年頃から勝海舟は幕府の弾圧を受け、海軍操練所は閉鎖に追い込まれ、行動を共にすることが難しくなりました。

そこで竜馬は、薩摩にて亀山社中(のちの海援隊)を設立しました。亀山社中で得た利益を倒幕のための資金として利用することとし、また幕府に敵対している薩摩藩と長州藩の同盟を進めようとしている坂本龍馬は幕府にとって煙たい存在でした。

そこで起こったのが1866年の寺田屋事件です。

伏見奉行の捕り方が捕縛もしくは暗殺しようとした事件でしたが、周囲との協力のうえ、回避することができました。

襲撃後は、亀山社中を海援隊と改め、竜馬は隊長に就任しました。

その後の薩長同盟の締結、大政奉還の実現に竜馬は尽力したものの、先にお伝えした近江屋事件により志半ばのまま、31歳という短い生涯を閉じることになりました。

議論され続ける近江屋事件の謎とは

近江屋事件で命を落とした坂本龍馬ですが、その犯人は今でも特定されていません。

しかし、いくつかの犯人像が存在することが指摘されています。それぞれを見ていきましょう。

1. 新選組説

治安が悪化した京都を立て直すために結成された新選組によるものだという説です。

2. 見廻り組説

京都の治安維持を目的として結成された部隊によるという説です。

3. 中岡慎太郎説

共に暗殺されたと考えている中岡慎太郎によるものだという説です。

4. 中岡慎太郎巻き添え説

もともと中岡が狙われていており、竜馬が巻き添えになってしまったという説です。

5. 薩摩藩黒幕説

薩摩藩が裏で糸を引いていたのではないかという説です。

6. 紀州藩報復説

いろは丸事件(坂本龍馬が率いる海援隊のいろは丸と紀州藩の明光丸が衝突しいろは丸が沈没したという事件)の報復として行われたものだという説です。

坂本龍馬という偉人が暗殺されたにもかかわらず、具体的な犯人は特定されず、犯人像も複数存在しているため、近江屋事件は今なお謎に包まれたままです。

近江屋事件に関わる史跡を巡る

続いては、近江屋事件の理解を深める上でぜひ見ておきたい史跡をご紹介していきましょう。

1. 近江屋跡

事件の舞台となった近江屋は、京都の繁華街の中心に位置します。

所在地は、京都府京都市中京区河原町蛸薬師下る塩屋町、最寄りの四条河原駅バス停より徒歩3分に位置します。

ここには「坂本龍馬遭難之地碑」が建てられています。

例年11月15日には、坂本龍馬・中岡慎太郎慰霊祭が開催され、この近江屋跡地に写真を設置して法要をおこなっています。

尚、拝観は無料で時間も自由となっています。

2. 京都霊山護国神社

この神社には、坂本龍馬・中岡慎太郎の墓が建立されています。

先ほどの近江屋から30分ほどの場所に位置するため、史跡めぐりにはもってこいと言えるでしょう。

11月15日の慰霊祭には、多くの参拝客が訪れています。

所在地は、京都府京都市東山区清閑寺霊山町1

JR京都駅より市バスを利用のうえ、「清水道」または「東山安井」下車徒歩10分のアクセスです。

開門は午前8時、閉門は午後5時となっており、年中無休です。

拝観料は大人300円、子供・中学生が200円となっています。

3. 土佐稲荷岬神社

近隣には、坂本龍馬が参拝されたとされる当神社があります。

坂本龍馬像と肖像があり、見どころとなっています。

こちらの神社では6月10日に例祭がおこなわれ、多くの人々が集まっています。

所在地は、京都府京都市中京区木屋町通蛸薬師備前島町

最寄り駅の四条河原駅から徒歩7分のアクセスです。

拝観料は無料で拝観時間は自由となっています。

坂本龍馬ゆかりの地としてぜひ訪れておきたい場所だと言えるでしょう。

4. 中岡慎太郎 寓居跡

坂本龍馬とともに暗殺された中岡慎太郎が、脱藩後の中岡が身を寄せた土佐藩御用達書林菊屋跡に石碑が建てられています。

所在地は、京都府京都市中京区河原町通四条上る東側であり、市バス四条河原町すぐとアクセスにも便利です。

拝観料は無料で拝観時間は自由です。

5. 酢屋

坂本龍馬が京都に戻ってきた際に身を寄せた場所です。

竜馬が滞在していた2階の部屋はギャラリーとして資料などが展示されています。

1階は、創作木工芸酢屋として現在も銘木販売を続けています。

所在地は、京都府京都市中京区大黒町河原町通三条下ル一筋目

地下鉄東西線京都市役所前駅から徒歩6分のアクセスとなっています。

6. 土佐藩邸跡

京都にある土佐藩邸は、江戸初期から明治4年までの間、京都における土佐藩活躍の拠点となっていた場所です。

所在地は、京都府京都市中京区木屋町通蛸薬師西南角にあり、先ほど紹介した土佐稲荷神社から徒歩1分とすぐ近い位置にあるため、せっかくなので見ていきたい場所です。

まとめ

以上、近江屋事件および坂本龍馬という人物について詳しくお話を進めてきましたが、いかがだったでしょうか?

犯人不明という謎に包まれた近江屋事件ですが、事件があった場所や坂本龍馬ゆかりの地を歩くことでさまざまな思いや歴史を感じ取り、想像を膨らませていく史跡めぐりは大変意義のあるものだと思います。

今回は、近江屋を中心として、周辺の史跡をご紹介しました。

隣接しているものが多いため、興味を持った方はぜひそれぞれの地を訪れてみてください。

今回お伝えしたことが、史跡めぐりの参考になれば幸いです。

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